どうでも良い欲

毎日、幸せを修練しています。

 

仏教的には、願望や希望も、ある種の妄想で毒なのだそうです。

 

だから、今の現実に集中するべきだと。

 

本当の意味での願望や希望なら良いのですが、それを手に入れたところで、自分の人生がさほど変わらないなら、それは単なる欲なのです。

 

欲は人を不幸にする毒です。

 

特にそのどうでも良い欲は、早く手放してしまった方が良さそうです。

 

努力して苦労しても、人を幸せにはしないものなのです。

 

 

 

努力の方向

毎日、幸せを修練しています。

 

毎日々々、反省ばかりしています。反省して落ち込んで、まっいいかっ、という感じで落ち着きます。

 

基本的に私は自分大好き人間なのですが、完璧主義でもあるので、自分のアラを探すことも怠りません。

 

幸せになるために、自分のことを知ることは大切なのですが、知れば知るほどイヤな気分になっていきます。

 

かと言って、自分を変えるのは大変なことですし、変えられるのかどうかもわかりません。

 

さて、自分の努力の方向をどこに向けるのか、今は思案中です。

悪循環のパターン

毎日、幸せを修練しています。

 

以前も書きましたが、私には『過度にのめり込む』という習性があります。

 

何か好きなことを始めると、徹底的にやろうとし、そのことの一番になろうとするのです。

 

そして、自分がそのことが好きだからやっているのに、思うようにいかずに、やがて苦しみに変わっていきます。

 

これって、執着とかっていうのでしょうかね。

 

絶対に叶わないし、叶っても仕方がない目標を立てて、『やれば出来る』と一日中集中して思考だけをめぐらし、出来る人に嫉妬して苦しんで、そんな自分に自己嫌悪する。

 

これが、私の悪循環の一つのパターン。

 

分かっているのだから、やめましょうか。

絶妙のタイミングで試練はおこる

毎日、幸せを修練しています。

 

毎日幸せになるために、意識して生活していると、いろいろなことが分かります。

 

その一つが、『絶妙なタイミングで試練はおこる』ということです。

 

何も意識していないで生活していた以前は、『何でこんなことになるの~?』って思っていました。

 

でも今は、何がおきても『あっ私、試されているんだな』って、分かるようになりました。

 

『自分が幸せになるための試験』なんだと思えば、過去と同じ過ちを繰り返さなくてもすみます。

 

意識していないと、本当に人間は同じ過ちをおかします。

 

理性では分かっていても、エゴのコントロールは難しいのです。

 

なので、常に意識して生活していかなければなりません。

ほどほどの幸せ

毎日、幸せを修練しています。

 

そこそこの行動をしていれば、そこそこの人生です。

 

必死に頑張れば、それなりの人生です。

 

何もしなければ、何もない人生です。

 

社会的に認められている人は、一見華やかに見え、羨ましくもあるのですが、その反面、相当の努力をしているだろうし、苦労もたくさんあるのだろうと思います。

 

きっと、努力で苦しんだ結果の成功をとるか、ほどほどで身の丈にあった幸せをとるか、私の場合はどちらかなんだと思います。

未来は必要

毎日、幸せを修練しています。

 

時間の感覚について考えてみました。

 

幸せになるためには、『いま・ここ』にあることだと言われます。特に仏教や道教などで言われることです。

 

確かに、外部環境に対する対応をする場合は有効なんだと思います。

 

ただ、幸せを増幅させるには、『未来に対する希望』というのも大切だと思います。

 

未来のことを思い煩うのはよくありませんが、希望や期待は幸せであることに有効だと思います。

 

過去は必要ないが、少し先の未来は必要ということです。

幸せになる二種類の方法

毎日、幸せを修練しています。

 

幸せになる方法は二種類あり、この二種類を上手くおこなわなければなりません。

 

まず一つ目は、幸せだと感じられない原因を除去することです。ストレスを減らしたり、トラブルを解決したり、外的要因に対する対応などがそうです。

 

もう一つは、幸せ感を感じる、増幅させることです。これは対応ではなく、自発的に自分が幸せになる行動をとるということです。

 

この二種類のどちらかばかりをやっていても幸せにはなりません。

 

その時の状況を見極めて、上手く組み合わせていく必要があると思います。