苦しみは思考がつくっている

毎日、幸せを実践しています。

 

自分の感情を客観的に眺めることが出来るようになりました。但し、感情が発露することは止められないので、事後にってことですけど。

 

そこで気づいたのは、『苦しみ』という感情の多くは、自分で作っているということです。正確にいうと、自分の思考ってことです。

 

思考は、本来苦しまなくてもよいことを、あたかも一大事としてとらえ、辛いと思わせたり、不安を煽ったりします。

 

これから『苦しみ』を感じたら、これは思考が考えていることだと思うことにし、この『苦しみ』を感じているのは、自分が『苦しみ』に執着しているということで、今に心が無いということなんだと思うことにします。

スマホを忘れる

毎日、幸せを実践しています。

 

朝、いつもと違う行動をした結果、スマホを家に忘れて出かけてしまいました。

 

気づいていない時は、別にどうということもないのですが、忘れたと気づいた時、頭の中はパニック状態になりフル稼働を始めます。

 

私の場合、それほどスマホに依存しているわけではないのですが、それでもこの動揺ぶりです。

 

自分では執着しているつもりはないのですが、これを執着というのでしょうね。何事に対しても、心穏やかでいるというのは、難しいですね。

心の疲労

毎日、幸せを実践しています。

 

運動して筋肉を使った時に、疲労感があります。同じように、思考を酷使したり、感情をヒートアップさせると、グッタリしてしまいます。

 

筋肉は物理的なものなので、疲れることはわかるのですが、思考や感情のような心は、何故疲れるのでしょう。どこかに力が入っているのでしょうか。

 

最近の私の疲労感は、この思考と感情による疲労です。『何も考えない』とか『穏やかでいる』とか、簡単そうなんですけど、凄く難しいのです。

 

今日は『心を穏やかに保つ』には、どうすればよいか、考えてみます。

 

 

素の自分

毎日、幸せを実践しています。

 

何の肩書きもなく、性別だとか、そういうものが一切ない『素の自分』って何だろうと考えています。ありのままの私は、ありのままでいても許されるのでしょうか。

 

私は最近、何かを酷く恐れている気がします。その何かは複数なのだろうけど。そんなに拘る必要があるものなのでしょうか。

 

考えてもまとまらないので、今日は考えることをやめておきます。

 

 

 

引きずらない

毎日、幸せを実践しています。

 

瞬間的に感情が上がってしまうことが多々あります。これを上げないようにすることは、今の私には無理なので、諦めました。

 

ではどうしたら良いか。そのことに先程、気づきました。

 

それは、出来るだけその感情を引きずらないようにする、ということです。

 

無かったように忘れるというのではなくて、全く別のことをして、その嫌なことを、ズルズルと考えすぎないようにするのです。

 

これが私には上手くいきました。先程のイライラは今はありません。

優しい人になれるか

毎日、幸せを実践しています。

 

優しい人になれるかって言っているくらいだから、現状自分が優しい女ではないことを認めているということです。

 

特に近しい人には、どうしてもキツくあたってしまいます。ただ、そんな自分を後悔して落ち込む優しさは持ち合わせているのですけど。

 

そもそも、『優しい人』というのが、ありのままの自分ではないことが分かっているのです。

 

だから、自分ではない自分になろうと努力する必要があるのかな?

 

ん~くだらないことを考えてしまいました。

得たいの知れない恐れを減らす

毎日、幸せを実践しています。

 

よく考えてみると、恐れって原因が分からないことが多いです。敵の姿が見えてしまえば、対策はうてるのに、何だか分からないから、恐れや不安が増長されるのです。

 

つまり、目の前にいる敵を恐れているのではなく、なんとなく得たいの知れないものに対して、恐れを抱いているのです。

 

ということは『自分は今、恐れているぞ』と感じたら、『何に対して?』って質問をしてみることにする。

 

それで答えが明確にならなければ、恐れる必要はないし、明確に答えられるのなら、対策をこうじれば良いとする。

 

こうやって、得たいの知れない恐れを減らしていこうと思います。