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苦しくない努力はしよう

毎日、幸せについて探究しています。

このところ、『努力はするべきか』で悩んでいましたが、私なりの考えがまとまりました。

『その努力が苦しくないなら、努力してみよう』

ということです。


もしもその努力の意味が分からなくなり、苦しいだけなら、例えその行動が自分の価値観から来るものでも、考え直した方がいいです。

私は容姿に対してコンプレックスがあるので、体型を維持する為に、人より努力が必要です。

以前、私の理想体重をかなりオーバーした時に、ちょっと無理目なダイエットをしました。

本来の私の価値観は、『綺麗な私でいる』ということなのに、その時は体重の数字におわれてしまい、軽いノイローゼになりました。夢にも出るってやつです。(笑)

これは、私の価値観からくる行動だったはずなのですが、ただやり方を間違えてしまったのです。

私が綺麗でいる為の楽しい努力はするべきで、病気になる程の努力は必要ないということです。

いかがでしょうか?

ありのままの私って?

毎日幸せの探究をしています。

私の行動の原動力が『他人に評価されること』だということは分かりました。私はこのことに莫大なエネルギーを使っているのです。

では、その無駄なエネルギーを使うことを止めるには、どうすれば良いのでしょうか。

『ありのままの私でいる』『誰からの評価も期待しない』『努力をしない』ということでしょうか。

そんなことはないと思うのですが、他人からの評価の為に努力をしないということでしょうか。ありのままの自分の為、本来の自分の価値観に従って努力するということ。

言葉では分かるのですが、そもそも『ありのままの私』って何?って感じです。

自分の価値観に従っていきるには、まず自分の価値観を知らなければいけません。

そこから始めてみましょう。

人を妬まない

世の中に、全てが幸せという人がいるのでしょうか? 

トランプ大統領の娘のイヴァンカさんのように、可愛い子供が三人いて、素敵なご主人がいて、キャリアウーマンで、頭も良くて、容姿に恵まれて、おまけに大金持ちで。

彼女くらいになると、全てが幸せと感じられるのでしょうか? 

というか、彼女くらいにならないと、幸せって感じられないのでしょうか?

幸せは、所有している物や、人間関係等の外的要因で決まるものではないと分かっているつもりなのですが、やはり他人のことが羨ましく思ってしまいます。

自分が幸せだとしていることが、あまりにも細やか過ぎているようで、これでいいのか分からなくなります。

ただ、私が急にイヴァンカさんのようになることはないので、私は私の価値観で幸せにならなければいけません。

人を妬まないって難しいですよね。

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楽な人生と幸せな人生

幸福探究Lab. では、現在私を使って幸せについて実験中です。ここでまた、新たな仮説が浮上しました。

それは、『楽な人生と幸せな人生は違う』ということです。

私の中で、幸せを定義する時に、楽な人生と混同しているということに気付きました。

逆の言い方をすると、『苦労、努力』を『不幸せ』と同義語と見なしていたのです。

楽な人生とは、何かを成し遂げる為の努力は一切せず、ただ目の前にある選択肢の中で、一番楽なものを選び続けるということでしょうか。

収入を得るための仕事もせず、結婚もせず、家族や友人を含む誰とも親密な関係を持たなければ、楽は楽でしょうね。(私が努力が必要だと思っていることです(笑))

でもこれって幸せではないですよね。

それは、幸せの定義の中に『達成感を得ること』ということが含まれているということでしょう。

ですから、自分の価値観に基づいた意思によることを前提とすれば、何かを成し遂げる為の努力は、どんなにそれが辛いことであっても、決して不幸なことではないということです。例え、その努力の結果が望んだことではなくても。

ですから、幸せを探究する時は、楽なことばかりを追い求めてはいけないということです。

私を観察する私

感情と思考をコントロールすることに挫折しました。そこで、コントロールではなく、どうすれば良いかを現在模索中です。

取り合えず、感情と思考を同じように扱うことは、止めることにしました。

感情は外的要因がないと変化はないので、今日は常に喋り続けている思考を観察してみることにしました。

私が何を考えているかに注目していると、私の中に、喋り続けている私と、それとは別の私がいることがわかりました。

『また、喋ってますよ。静かにしなさい。』って注意しています。(笑)

この喋り続けている思考は無意識な思考なのでしょうか? では、注意している思考は何なのでしょう?

暫くはこれを観察してみて、どうすれば頭の中のお喋りに振り回されなくてすむか、実験してみます。 

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自分を証明しようとしない

毎日幸せの探究をしています。

そんな中、私の中の何が、行動の原動力になっているか考えてみました。そこで分かったことは、私を困惑させました。


私の行動の原動力は、

『自分が無能な人間ではないと証明すること』

『人より秀でた人間であると、皆から評価されること』

でした。ん~カッコ悪い~。これでいいのでしょうか?

よく幸福論や成功本に、『他人を助けたい』とか『世の中の役に立ちたい』とか『家族に愛を与える』とか書いてありますが、何と私の価値観は傲慢なのでしょう。

また、幸せになる為に、『自己受容』や『本当の自分を好きでいる』ことの重要性が分かっていながら、これでは本当の自分を全否定してしまっています。

考えてみると、私はこの『無能ではないことを証明すること』に莫大な時間とエネルギーを使ってきました。

そして、今そのことに気付かないでいたら、このまま一生続けていたのです。

この『自分を証明すること』を止めれば、本当の自分が現れるのでしょうか?

暫く人体実験をしてみることにします。

頭の中のお喋り

頭の中で、繰り返し続くお喋りがあります。これを追い払おうとするのですが、なかなか上手くいきません。

瞑想(らしきこと)をしていると、何とか感情を抑えることは出来るのですが、その感情を、頭の中のお喋り、つまり思考でねじ伏せている気がしています。

昨日そのことに気づき、もう感情や思考をコントロールするのは諦めることにしました。

沸き上がる感情を抑えつけても、いずれは溢れ出します。思考はどうなのでしょうか?

そこで、今日から感情と思考の対処法を『瞑想』という一つの方法でおさめることを止めてみます。

まずは、思考を頭の中で繰り返されるお喋り(意識しないで考えていること)と定義して、実態調査をしてみます。

私自身、毎日聞こえてはいるのですが、その詳細を把握していませんでした。

何か聞こえたら、書き出してみます。もしかしたら、素晴らしいことを教えてくれているかもしれません。(そんなことはないか(笑))

意外に仲良く出来るかもしれませんね。

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